第12回愛媛主権者教育研修会報告

第12回愛媛主権者教育研修会報告

 2022年7月9日(土)9時30分~11時@オンラインにて、第12回愛媛主権者教育研修会が行われました。本会は、「主権者育成のための学習評価のあり方」について考えることを目的として、熊本大学の藤瀬泰司先生に「自己調整に着目した社会科における学習評価の検討-論文『子どもの授業評価」を手がかりに-』という題目でご講演をいただきました。

藤瀬先生のご講演の主な内容は、以下の通りです。

Ⅰ.はじめにー民主主義とは何かー

→リンカーンの言葉「人民の、人民による、人民のための政治」とあるが、チコちゃんに「『人民の政治』と『人民による政治』、一体、どう違う?」と聞かれたらどう回答するか。という問いが投げかけられました。民主主義とは何かという問題は「チコちゃん問題」となっていることを共有したうえで、「民主主義とは、主権を有する人民が、その権利を行使することにより、人民のために行う政治のことである」ことを確認しました。

Ⅱ.論文「子どもの授業評価」の意義と課題

→藤瀬先生は大学赴任後に、ほとんどの大学生が社会科の目標を理解していないことを知り、高等学校までの社会科の授業で目標について考えさせる指導と評価の一体的指導の必要性を強く感じられたようです。そこで、子どもが授業評価を行う社会科授業として中学校社会科公民的分野小単元「性同一性障害を考える」を開発し、考察を行いました。(詳細は、藤瀬泰司「子どもの授業評価を活用した社会科授業改善の方法―子どもに開かれた授業検討方法の構築をめざして―」『社会系教科教育学研究』第28号,2016をご覧ください。)本論文の意義について、子どもによる授業評価の事例を示すことによって、学習評価に限定されていた従来までの子どもによる評価のあり方をより開かれたものにしている点にあることが報告されました。また、課題については、社会科の授業で民主主義の担い手の育成が目指されたとしても、子どもを取り巻く環境や状況が民主的に機能していなければ目標は達成されないため、子どもに学校評価に取り組ませる必要があることが報告されました。

Ⅲ.市民に必要な自己調整力

→市民に必要な自己調整力育成のためには、教科目標をふまえた授業作りを推進することが重要となり、そのための方法として子どもによる授業評価や学習評価が有効であることが提案されました。

(当日の様子)

【参加者の主なご意見】

〇「教科の目標」をどう子どもとシェアしていくか。それに即して、授業を評価し合うことが、主権者教育の始まり。子どもに発言権がない社会科、というパラドクスはあってはならない、と感じました。

〇授業評価の方法について、生徒と事前に共有してというのは、一見当たり前のようで実はできていないところも多く、参考にしていきたいと思いました。

〇民主主義の視点に着目した授業づくりの必要性。教科目標の達成にむけて効果が高まると考えたから。

〇教科目標の共有が市民として必要な自己調整力につながること。今の世の中で生きていくためには1つの事象という小さな枠組みだけでなく、もっと広い視野で考え、自己を振り返り、調整する力が必要であることを感じたから。

〇社会科の目標を共有すること。また、現場の先生方は、社会科の目標を子どもと共有することを肯定的に捉えており、むしろ子どもの授業への参加への姿勢が変容するのではないかと期待をしていること。教師と子どもが一体となって学ぶ空間を創出しようとしている姿勢があることを感じた。

〇民主主義の担い手を育てるという教科目標を生徒と確認し、大人と生徒と一緒に進めていくということです。社会科の目標であり、大人も子どもも理解を深めていくことだと思いました。

〇また評価について普通は教師が生徒に評価する立場ですが、生徒が教師に評価するといった新しい評価があり教師になった時ぜひ活用してみたいと思いました。

〇子どもの自己調整のために授業評価を利用するということです。目標を立て見通しをもった学習をすることが自己調整につながるのではないかと思いました。

〇教科内容や教科方法だけでなく、教科目標も教えるべきであることが印象に残った。いままで小・中・高の授業を受けてきて教科目標を学んだことがなかったので新しい視点で、子どもによる評価をさせる上で必要なことなのだと分かった。

〇指導要領の確認を通した教科目標を定義すること。指導要領は教師のためのものという認識が強かったので、その発想が逆転したため

〇地理・歴史のように概念的知識に向かっていく流れと、公民の違いについて考えはまだ出ていませんが、考えるきっかけを与えていただいた印象です。

〇教科内容に加えて教科目標を教えることで個人評価と授業評価の基準を決めることができ、それらの評価をもとに自己調整を行う授業が主権者意識を高めることが印象に残った。生徒の評価が重視されているが、教科目標を理解していないと適切な評価にはつながらないため教師と生徒が一体となって評価の基準を定め評価を行うことが重要だと考えるからである。

〇授業に教科目標を取り入れ、生徒に教科目標について考えさせたことが特に印象に残っている。私は今までどうしてこの教科を学ばなければいけないのだろうと思っていた側の人間であったため、逆に授業で取り入れるというのは新しい発想であり、自然と学習に取り組むことができるのではないかと考えた。

〇これまでの授業経験を振り返ってみて、いかに教科内容を理解させるか、また、どのような教育方法が適切かといった、教師中心の視点から抜け出すことができていなかったのではないかと思う。今回の実践事例でもあったように、教科目標を教師と生徒が共有することで、より生徒が主体的になるのではないかということを考えさせられた。

〇社会科の目標を子どもに理解させるための導入の授業である。なぜ、民主的な国家に変える必要があったのか、という問いのもと、子どもが民主的な風潮の中で、教科目標を理解していっていると感じたから。

〇「民主的な国家・社会の形成者を育成するという視点から見た場合、その権利を生徒に行使させないことは大きな問題である」という問題提起にはっとされられました。高知県では、その権利を行使させる場面の設定、つまり、生徒が授業に対して意見表明をする機会すら与えていない現状があります。それを解決していくために、評価の場面を設定することはもちろんのこと、社会の教科目標を生徒と共有し、その目標に照らして生徒に授業評価をさせるという大胆な手法での授業実践は、大きな意義があるのではと思います。また、内容ベースではなく、資質・能力を育て、汎用的な知識、概念的な知識を獲得させるためには、「学習の意味を拡張」していくことが必要であり、そのために、教科の目標を生徒や保護者と共有していくことは有効な手立てではないかと感じました。教科の目標は、非常に大きく概念的なものであるので、共有する際には、様々な手立てや教材研究が必要になると思います。そのあたりを今後考えていきたいと思いました。本時は、誠にありがとうございました。

〇講演を聴いて今までは教科内容や教科方法を生徒に学習させることが授業において必要で大切と思っていたけれども教科目標も学習させることが社会科だけでなく学習の場において必要なことだと感じることができました。

〇藤瀬先生の課題意識について 「自らの中学校教員時代を振り返り、その反省に立って」というお言葉は、いつも私の胸に響きます。現場に立つものとして、常に刺激を受けています。

〇社会科という教科を勉強する意味や目標というものを子供達に教える授業というのがこれまでになされてこなかったため、印象に残った。民主主義という定義を教師や生徒の間で設定し、定義に沿って学習を深め、定義が正しかったか確認するという一連の流れが新鮮であり、また主体的で対話的で深い学びのための手立てになるのではないかという期待が得られた。教師と生徒が仲間意識を持って学習することが出来る点が良いと感じた。

〇私も学生時代、社会科の授業を受ける際に教科の目標について考えることがなく、知識や用語の理解にばかり目を向けていました。そのような学習が教科内容や教科方法にのみに偏りがちな現在の社会科学習において、学習の意味を拡張することで、生徒たち自身が民主主義の担い手としての意識を持たせて学習することは、市民に必要な自己調整力育成に重要な視点だと感じました。”

〇教育目標について考えることが社会の形成者としての素質であるならば、それを知らないまま大人になることは教育にとって大きな問題であるということが強く印象に残っています。将来民主主義社会で生きていく上で必要な能力を育むことを目的としているにも関わらず、社会への関わり方を学ぶことができないという事実があることに対して驚きを覚えました。

〇生徒とゴールを共有するというお話が、印象に残った。先生の役割として、学習内容や学習方法を指導するだけではなく、教科目標を生徒に共有した上で、その課題にともに取り組むという姿勢が大事なのだということが分かった。

〇「教科目標を子どもと共有する」ということである。これまで受けてきた授業は、社会科に限らず教師の教える側の意図が不明瞭なものだった。社会科教育学を受けてから、一つの授業の中での学習課題、さらには「単元を貫く問い」によって子どもに学習の見通しを持たせることの重要性を考えていた。今回のお話で、子どもに提示する、子どもと提示する段階をさらに上げる必要性を考えた。藤瀬先生の冒頭のお話同様、私も社会科の目標を、これまで受けてきた教育から見出すことはできなかった。特に中学校社会科は、3つの分野に分かれ、それぞれ教科書も異なる。そのため、社会科全体の目標を見出しにくいと考える。そしてそのことは、社会科としてのまとまりを子ども(学習者)が見出しにくいことにもつながると考える。現行のパイ型カリキュラムは、最後に社会科の目標に最も近しい公民的分野を学習することでそれを達成すると構成上は言えるかもしれない。しかし、社会科の目標を子どもが見出しにくいという現状がある以上、さらに丁寧にカリキュラム構成を修正する必要を感じる。各分野の学習の間に、社会科という教科に子どもを対面させる機会を保障していきたい。

〇藤瀬先生の指摘を受け,児童・生徒が教科目標を知らずに小中高と社会科を学んでいることの不自然さに気づきました。それは教師自身が1単位時間や単元レベルでの授業作りに縛られてしまっているからだと感じました。「なぜその教科・領域は存在するのか?」という原点を意識した学びを児童と共有することが大切だと思います。坂田先生が児童の変容や保護者への効果を語ってくださったように,授業評価や学校評価につながる研究で大変勉強になりました。